記事内に広告が含まれています。

宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その4

宮島

つづき。

0831 榧谷駅

鹿との遭遇を経て、アップダウンをいくつか繰り返すとやがてロープウェイの中継駅(榧谷駅)にたどり着きます。
紅葉谷や大聖院および大元公園の三大ルートと違ってこのアップダウンがあることがマイナーである理由ではないかと思われます。

榧谷駅では駅地下に10m程の短いトンネルがあり、これをくぐって引き続き尾根をたどることになります。このトンネルは、小学生か中学生の頃に遠足で来たときにくぐったような記憶があるのだけど、中学生のときに友達と単純に遊びで弥山に登ったこともあったし、くぐったことも含めて定かではありません…。
遊びで登ったときは、当時ざるそばのつゆについてくる生うずら卵について執着があった私が注文したのにつられて、冬にもかかわらず山頂駅のレストランでざるそばを頼む男子中学生数名。そして一人だけ食中毒になるT氏(中電)の記憶が鮮明ですが、純粋に気の毒としか今となってもコメントしようがありません。

0851 獅子岩駅

左手にロープウェイを見ながら尾根を進み、「そろそろ樹上に猿いるんだろ…」と最大警戒モードに遷移するも駅周辺に至るまで一匹の姿も見えませんでした。時間のせいなのか、それとも数が減っているんだろうか。
2階建の駅で誰もいない中を20分くらいぼんやりと休憩して、山頂を目指します。

0929 霊火堂

2005年5月5日に全焼した霊火堂は見事に再建されていた。が1階に金属製で複数の小さい穴が開いている天井ができていてファンがあるわけでもなく、2階まで吹き抜けだった以前よりも焚き火の煙の充満度が高いように思われた。目が痛い。

806年(大同元年)に弥山山頂付近で弘法大師が焚いた護摩の火が絶えずに燃えているという言い伝えで、1200年の間には大型台風もあっただろうし、実際に堂も何度か倒壊しているそうだし、果たして絶えずに燃えているのかどうかと疑ったりもしたくなる。が、今回の全焼事件では付近にいた住職が火種を懐炉に拾っていたらしいし、広島平和記念公園の「平和の灯」も、元々はこの霊火だというのでそれより過去においても何らかの形で継続性を保っているのだろうと好意的に解釈したい。

霊火の上には新たに寄進された大茶釜が据えられていた。これいくらするんだろ。
新しい堂の側には寄進額を記した石柱が建っているんだけど、金額が載っているのは50万円から1000万円。あとは金額ではなく「擬宝珠」「本尊不動明王像」「大釜」「金一封」となっていて、「金一封」が大本山大聖院座主吉田xxで「大釜」が佐賀県神埼市千代田町xx…道貫坊信者一xx(xxは写真から外れていて不明)となっている。いくらなんだ…。1000万円以上って事か。どんだけー。寄附側の税制優遇ないよな…?

霊火堂の上にある三鬼堂も以前の台風で倒壊しているのだが、この三鬼堂については私の曾祖父が正面欄間の彫刻を寄進していて、古い写真に確かにその様子が残っている(こんなの知ったのは数年前だ。写真そのものは確か10年乃至15年前くらいのものだったと思う)。現在の三鬼堂には田川家の関係する寄進物は無い。
遡れば江戸時代のころの煙草屋にたどり着くと言うし、戦前戦後も菓子とか米とか売っていたようだし商売人の縁起担ぎなんだろうな。

ええ、私も100円玉を何枚か投げて「商売繁盛」のロウソクを立ててきましたよ。信心とか信仰心とか宗教とか興味ないんですが、三洋電機を救い給え!私のxx000株だけでも。みんなエネループ買え。エコ。

続く

【霊火堂 07.10.06】
霊火堂

前の記事:宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その3<>続きの記事:宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その5

コメント

  1. 888.aaakiaaa より:

    こんにちわ
    こんなルートもあるんですね

     私はこないだ紅葉谷から登り、大元公園へ降りました。

    猿は見かけませんでした。
    何年間か猿への餌やりをやめたせいでしょうか、野生にかえった?かな

    大聖院ルートは見事に崩れていて、復旧は難しそうですよね。

    何十回と宮島へは行っているのに、町屋通りも初めて通って、まだまだ楽しそうです。

  2. RON より:

    こんばんは。

    紅葉谷の紅葉時期は割と遅いようですが,どうでしたか。そういえば大元公園にもモミジありますよね。

    猿の餌付けやめてたんですね。餌付けで増える動物の弊害も言われて久しいですから,そういう流れなのかも知れません。わたし的には色んな意味で歓迎です。

    崩れた後の大聖院ルートも町屋通りもまだ見たことがないので,次はこれを見に行こうかなあと思います。

タイトルとURLをコピーしました