のじゅかー旅行記

第9回野宿周遊旅行 in 北海道

1・2日目(東京・室蘭)3日目(サロマ湖)4日目(網走)
5日目(池田・釧路)6日目(名寄・稚内)7日目(洞爺湖・函館)
8・9日目(日高・室蘭・東京)


3日目(サロマ湖)

0404 遠軽着。始発のバスまで駅の待合室で待つ。コンビニを発見したので朝ご飯を食べる。気温は零下17度。鼻毛が凍ってしまった。

 足の裏の痛みもかなり引いたので、サロマ湖再縦断を決意する。

0605 紋別行きバスに乗り、湧別で降りる。0645 湧別発竜宮台行きバスに乗り換える。0712 竜宮台着。気温は零下6度。

 ここでもうお気づきかも知れないが、去年とはルートが違うのである。去年は、サロマ湖東側の常呂から西の竜宮台へ向かって縦断したのだが、今年はその逆を行こうと目論んでいるのだ。

 さて、ぎっしりと接岸している流氷を眺めた後、湖口へと歩き出す。湖口では夏期に堤防工事が行われていて、そのための道路が整備されていて歩きやすい。

0809 灯台(湖口)に到着。向こう岸が見える。やはり湖口付近は結氷しておらず、していてもかなり薄いことが判明した。最短距離での湖口越えを諦めて去年と同じく迂回することにした。

割れる。
雪の固まりを投げてみると、割れた。

 湖畔を50mほど戻っていると、つるつるの氷が露出してきた。おそらく、ここ数日の日中気温が高くなり氷上の積雪が解けて、また結氷したものと思われる。ゴム長がつるつる滑るぞ!用心して進む。
 と、突然目の前が真っ暗になり、右の二の腕を痛打!何?転んだの?転んだ。骨が折れたり脱臼したり捻挫したりしてないかと確かめるが、特に痛みもなく無傷のようだ。しかし、サロマ湖で転倒。思いっきり心に傷を負う。しおしお。おうち帰りたーい。
 しかし、そうも言っていられない。湖を縦断した先にはサロマ東急リゾートのカキ食べ放題が待っているのだ。明日の昼過ぎには渡りきらないといけないのだ。カキ大好き!カキ万歳!
 気を取り直して、いよいよ迂回ルートとして湖面中央に向かって歩き出す。1歩2歩3歩・・・、10分ほど歩いただろうか。様子がおかしい。足元が。氷の色が違う。黒っぽくなってきてる。てゆーか、辺り一面が暗い色になってきてるよ。も、目測を誤ったらしい。積雪はほとんど無く、足を載せるとシャーベット状の・・・。
「う、薄い!!」
 表面がシャーベット状になるということは気温が上がっていたという事で、氷も薄くなってしまっているのではないかと早計し、猛烈な恐怖感(夜道を歩いていたら蛍光色のカマキリ星人がピストルを構えていたような感じ。でもちょっと違う。)に襲われて、思わず「あわわわわ・・・。」と今時マンガでも見ないセリフを吐きながら急ぎ足でしかし慎重に湖畔まで退散した。
 去年「薄いなあ薄いなあー。」と歩いた時より状態が悪い。悪いと思いこんだ。実際、どれくらいの色でどれくらいの薄さになるのか、どれくらいの薄さで割れるのか、なんて知らないんだけど。

 湖畔で半ば呆然としながらも、もう少し大きく迂回して再度挑戦しようかと思ったがすっころんだ件と怖い思いをしたことで、すっかり自信と勇気を失っていた。一体どれだけ遠回りすれば安全なのか分からなくなってしまっていた。自分の性格からして、誰かパートナーでも居れば状況は大いに変わったと思う。一人ではダメだった。

 去年と逆のルートを選んだことも失策だったと思う。去年は、最も危険な湖口が最後の壁であったため、また、もうすぐ安全な所へ着くという期待があったことで恐怖に打ち勝ち、勇気と冷静な判断をもたらしたことが幸いした。今年は正反対だ。最初に最も危険な場面にぶち当たり、湖口を越えたとしても約15kmの無人地帯を歩き、野営しなければならないのだ。引き返す方が楽だった。

 結局、20分ほど考えた末にサロマ湖縦断を断念した。もの凄く悔しかった。ただ、一晩経てば心の態勢は取り戻せるのではないかと思った。

 そしてトボトボと竜宮台へ戻り始めたのだが、せっかく大好きな湖口までやってきたのだからと思い、途中で荷物を置いて引き返した。そしてフラフラと A地点(下の画像参照)にたどり着いた。

サロマ湖口の図
事件は現場で起きてるんだ!
A地点からB地点を望む。
A地点からB地点を望む。
足元。
A地点とB地点の間。下は海〜。

 そして、その構築物の先端まで歩いてみることにした。(この欲求を勝手に先端願望と名付ける。どうでもいい。)
 ところが、その行く手は巨大ドブ板とでも言うべき金属の・・・何て言うんだろうか。みなさんご存じのものです。(写真参照)で、できており、さらにその上には積雪が。この状況では、人一人スポッと落ちてしまう隙間が存在しないとは言い切れないのである!(実際、右足が落ちた。)ということで、おそるおそる足で雪をかき落としながら進んだ。
 B地点まで進むと、その先はセメントでできているようだったが、雪がもの凄く深くなっていて、どこで道が終わるのかも分からなかったので危険危険と引き返すことにした。もはやすっかり慎重派だ。

 その慎重派も A地点へ引き返すと油断が生じた。
 写真右側の手すりを伝いながら(しかし、この手すりに頼りすぎると海に落ちる可能性が高かったので油断ならなかった。)、その終端まで戻ると、そこから海面までなだらかな斜面となっていたので「一体、どれくらいの雪深さなんだろう。」と素朴な疑問を抱き、無意識に1歩2歩と足を出すと・・・。

 突然目の前が真っ暗になり(本日2回目。)体が沈む!ズボぉーッ!「フガ!」
 アワアワと両手が空を切る。そのとき、偶然に左手が手すりの終端をつかんだのである。宙づりになる。
 「み、右・・。」右手を手すりに引き寄せて体を引き上げた。(この間約2秒。)

ゲンバ。
事件は現場で起きてるんだ!(A地点)
ゲンバは危険がいっぱいだ!
別アングルから。(左の棒は命の恩人。)

 幸い、現場で走馬燈の目撃者は現れなかったが、もし偶然に左手が手すりをつかまなかったら、海面の薄氷を割って積雪もろともチャポン、となっていたであろう。

 数日後の記事。「オホーツク海で苦悩の大学生入水か?数百メートル手前には荷物、自宅には遺言状が残さる。工事現場の足場からチャ。」

 えー、そんなこんなですっかり意気消沈してしまったので再びトボトボと竜宮台へ戻ることにした。

危険
遠慮すべきだった。

 と、ちょうどお昼前になったので去年入ったラーメン屋へ向かう。相変わらずうらぶれている。よせばいいのに、カツ丼(\800)を頼んでしまう。頼んですぐに後悔(と手元のメモに書いてある。)。店内は去年と全く変わらない。壊れそうな(てゆーか、ほぼ壊れている。)椅子。同じコショー(ハウス)。衛生点検済み証は平成11年度のものに変わっていた。良かった。おじさんは去年の同じ時期に訪れたことを覚えていないようだった。自分もあえて言わなかった。そして去年と同じ会話。娘さんが練馬に住んでいるそうだ。知ってるよ。でも初めて聞いたかのように話を合わせる。店名は「ひとみ」苗字じゃない。誰だ、ひとみって。これも聞けない。1時間近く待っただろうか。出てきたカツ丼には、いっちょまえにフタまでついてるよ。塩胡椒っぽい味が独特だが文句なぞ言ってられないのだ。でも不味い!ってほどでもないね。ごちそうさまでした。きっとまた来ます。最も湖口に近い店。それが称号。

 さて、お腹も一杯。竜宮台でボケーッと暇を潰す。4駆の2人(旅行者と旅館の主人って感じだった)に声を掛けられたり、関西から家族で来たというおばさんと話をしたり近所のおじさん(犬の散歩。流氷について蘊蓄をくれた。ロシアのアムール川(黒竜江)から来ているんだなんて言っていたけど、あの量は納得いかない。)の話を聞いたりしていると夕方になった。

1640 気温 1度。道端に設営完了。例のごとく、凍っていてテントのポールがうまくはまらない。一応、潰れないので良しとした。設営が終わると急につまらなくなったのでウイスキーを飲む。1700頃、車2台がやってくる。聞き耳を立てていると、どうやら学生らしい。
女「なあにぃ〜これぇ〜?」
男「あっ、これバス停だよ。」
女「うっそぉ〜。」
 そういうボケか。もうちょっとヒネりなさいって。しかし中に酔っぱらいがいるんだぞ、もう少し遠くでボケてよ。危ないよ。
 酒はキンキンに冷えていて、飲むほどに寒くなってくるので諦めて寝る。1730。

2100過ぎ。目が覚める。2240 起きる。寒い。寒いしお腹減ったなあ。寝ぼけマナコでお湯を沸かしてとっておきの唐辛子麺を食べようとする。沸いたね。パーコレーターを持って、じゃーーと。アッ!熱い熱い熱い。軍手の親指に熱湯がビヤーッと!!うわああ。外して外して、軍手外して!・・・時既に遅し。左手の親指をヤケドする。うわあ。痛いって。これは。カップ麺を放棄して手当てする。もの凄く痛い。濡れ脱脂綿(殺菌済)を絆創膏で巻いてションボリとして再び寝た。

 なんだか良くないことばっかりだ!


1・2日目(東京・室蘭)3日目(サロマ湖)4日目(網走)
5日目(池田・釧路)6日目(名寄・稚内)7日目(洞爺湖・函館)
8・9日目(日高・室蘭・東京)



のじゅかー旅行記へ戻る