のじゅかー旅行記

第10回野宿旅行 in 北海道

1・2日目(東京・室蘭)3日目(サロマ湖)サロマ湖・その2最終日まで


第4日

← 0%体力(+25)100% →← 0%気力(+20)100% →
26%24%

 目が覚めたら既に9時だった。こっそりとガスバーナーでお湯を沸かして去年のとうがらし麺リベンジとして持ってきたカップ麺を作った。辛い。汗が出るぞ。
 ギリギリの時刻にチェックアウトし、精算した。3500円。

 そして、昨夜の公衆電話の横っちょにあるバスターミナルから網走駅行きのバスに乗って「サラバ、サロマ湖。強制送還!」とか思いつつ居眠りをしているとアッという間にオナジミの網走駅へ到着した。
 さて。まだ時間も早い。どうしようかなー。網走市内循環バスで、そうだなあ網走刑務所博物館は行ったことがあるから、北方博物館はどうだろう。楽しみだなあ。バスに乗って天都山の北方博物館で降りると誰もいなかった。
 「何?」エントランスまでの階段も雪かきされていない。
 案の定、休館だった。
 「こんなトコロで置き去りかよお。」大丈夫。スグにバスが来るよ。時刻表を確かめた。
 しかし、時刻になってもバスは来ず、次の便の時間にやっと来た。その間はタダぼんやりとしていただけだ。30分の間、心に冷たい風が吹き付けていた。
 「…バスはキライだ!」
 すぐ隣の停留所で降りて「流氷館」で入場料を払った。受付の横でドッカと荷物を降ろすとツアーの(?)おばちゃんが目を丸くしてコッチを見ていた。よくある単なる自意識過剰ではなくてホントにだ。野宿旅行初めの頃はみんなが見ているような気がして「あぁ自意識過剰だ」と思っていたが慣れてくるに連れて、そう思ってるコトだけではないと分かった。でももうこんな場違いな雰囲気は慣れっこなのだ。私は逆に鼻歌でも繰り出すような勢いで受付を済ませた。
 最初は零下15度だかの体験コーナーだ。濡れタオルを渡されて、「中で振り回してください」だって。凍るんだよね。中に入ってスグは「あれ?零下15度ってこんな感じだっけ?」と思ったが、しばらくすると「あ、そう!この感じ!」鼻毛が凍る感じね!タオルもつつがなく凍ってくれた。
 大した展示物もなく、既に誰もいなくなってしまったレイカ15度室で、しばらく氷点下に浸っていたがあんまり遅くなるとミョウに思われるかも知れない(入り口におねえさんがいるんだよ)のでソコソコにしてソコを出た。
 あとの展示物は流氷にまつわる何だかんだが少々あるだけで大したことはなく、後はおみやげ屋が展開しているダケだった。

 後から来た中年初老の団体をすりぬけ、流氷館を出た。再びバスに乗り網走駅へ戻った。
 しかし、次の列車まで1時間以上も待つということでシオシオになりながら駅となりのローソンで新聞と週刊新潮を買って時間を潰した。

 やがて来た列車に乗って知床斜里の駅で降りた。
 海まで近いのかなあという何の根拠もない先入観で地図を眺めてるとケッコー遠いことが判明した。しかし次の列車までまた1時間以上ある。
 何とか博物館(コレに弱いなあオレは)が徒歩 20分のところにあるらしいので行くことにした。行ってみたら休館だった。ナヌーぅ!
 激ガッカリしながら駅まで帰る途中に雑貨屋兼おもちゃ屋兼本屋があったので入る。我が心の師匠・椎名誠の本を1冊買った。列車の時刻まであと数分というトコロにもかかわらず、さらに駅前で昼飯を買った。
 タイミング悪く先客があり、ジリジリとレジを待ってホームへ駆け込んだら列車があった。あわてて駆け込んで車掌だか運転士だかに訊いたら逆の方向の列車だった。「あう!」あわてて降りて跨線橋を戻ろうとすると列車が入ってきた。「あーー待って!」
 何とか間に合って一息ついた私は、たらこスパゲッティとおむすび2個、いやサンドイッチ2つだったか?を食べて、ぼやんとした。
 そしてこの列車に乗っていても釧路に着く時間が早すぎるので、途中の緑駅で降りることにした。
 コレが間違いだった。ナゼ私は、次の川湯温泉で降りなかったのだろう。
 何もない。待合室の暖房もない。寒い。次の列車まで1時間どころかもっとある。
 タダ絶望の中、次の列車を待った。反対方向の列車が来た。やった!
 取りあえず乗る!そして次の札弦駅で降りたらまた絶望だった。寒い。
 「何もかも、トコロチョーのせいだ!」とつぶやき次の列車を待った。
 そして釧路駅まで長く浅い眠りについたのだった。

 釧路駅は既に夜の気配と共に店をしまっていた。
 私は、唯一営業している「ミスタードーナッツ」にタバコとネタ帳を持ち込んで長期戦の構えを見せた。
 そこで網走駅到着から「タイホ(逮捕じゃないけどね、ネタ的に。)」されるまでの出来事をネタ帳に記した。

 頭から湯気をなびかせてネタ帳を書いているとサッポロ行き夜行列車の時刻が近づいてきたのでビールを買って乗り込んだ。
 そして、サロマ湖「拘束(拘束じゃないけどね)」の件をウジウジとフツフツと考えているウチに眠りに就いた。

← 0%体力(+25)100% →← 0%気力(+16)100% →
51%40%

第5日

 目が覚めたのは新札幌だった。札幌駅北口のコンビニ(おなじみだ)で朝食と日経新聞を買って、苫小牧方面の特急を待った。
 苫小牧で日高本線に乗り換えた。確か、静内だか浦河には下川みくにの実家があるんだよね。そんなことはどうでも良くて私は襟裳岬へ向かった。えりもの春は何もない春なのか。
 終点の様似からバスに乗り継いでずいぶん経った頃に襟裳岬に到着した。
 「すげー強風!台風みてえ!」
 襟裳岬は年がら年中強風が吹き荒れているらしいのだ。おお。
 何もない。土産物屋も閉まってる。唯一開いてるのは何やら資料館だけだ。
 強風の中を、激写して

えりも
襟裳の〜冬も〜何もない冬です。

 なんだよ、誰もいないのにニコニコ写真なんか撮って、と自己嫌悪に陥りながら周囲を散策した後にソコへ突入した。
 その資料館は私の他は2、3人しか気配がせず、なかなか寂しくてショボいところだった。
 しかし、特筆すべきは「強風体験室」があるのだ。入館者は受付のおねーさんに申し出れば入れる。
 「くー、一人か。でも入らねば。オレ的に。」
 おねーさんに「あれ、試したいんですけど」言って入る。
 ぶおーとガラス張りの部屋の中に風が吹き荒れて、
 「うひゃあ!(照れ)」
 とか
 「うわあ、すげ。」
 とか言いながら風速 15m/secを一人でクルクルと体験しているとヤッパリ恥ずかしくなってきた。
 私は澄まし顔でぱたんと扉を閉めて「もういいです。」と言い、そこを出た。

 この強風は資料館を出たところの風よりも弱いような気がしたし、フェリーのデッキでも体験したような気もする。このレーセーな判断も後から後からク〜ル田川の「うひゃあ!」「うわあ、すげ」を急速に打ち消し「もういいです」に追いやった。追いやって恥ずかしさだけが後に残った。でもいいじゃん!ダレも見てないよ。そうだそうだ。ホントに?
 そう!クルクル回りながらチラッと見たおねーさんも向こうを見てたからそうなの!

 その後、バスに乗って再び様似駅で日高線に乗り換えて私はウトウトしていた。
 ネタ帳によると、「日高線の高校生はケータイ&着メロがブーム。」とある。そしてお腹が減っていた。

 1800頃。苫小牧でフェリーの乗船日をダメモトで今日に変更してもらうように言ったら、できた。
 「あぁ、オレの今年の北海道はコレで終わりか。」
 室蘭本線に乗って東室蘭へ向かう。ネタ帳には
 「ナゼかすり足の女がたくさん。スリスリ歩く。」とある。そしてまだお腹が減っていた。

 東室蘭で乗り換えて室蘭駅へ。そして徒歩でフェリーターミナルへ。

 2028。ターミナルでチェックインを済ませ、この旅行初めての海産物、いくら丼セット(\1500)と生中(\500)を頼んで、またネタ帳を書いた。
 イクラは何だかニセモノっぽい感じがしたがこの際、背に腹は代えられないのだ。
 酔っぱらい話で私が時々しゃべる「いつでもイクラが流れ出てくる蛇口」を思い浮かべながら食べた。

 2230。港内の氷のため、またもやタラップが使えず車両甲板からの乗船となった。「へすていあ」の自販機でビール(\400/500ml)を買う。
 二等船室でダラーんと飲んでると、ノートPCを使ってる人がいる。勢いで話しかけてみるがあまり良い感触がない。紙っきれに我がサイトの URLを書いて「良かったら見てください」なんて言ったが、下船するまで何も無かった。思いっきり空回りだ。

第6日

 朝。11時頃、風呂に入る。
 昼。12時頃、レストランでカツカレー(\750)。
 夕方。定刻に茨城・大洗港に入港。
 バスで水戸駅へ行き、常磐線で日暮里・山手線で新宿・京王線で仙川に到着した。

 こうして21世紀最初の冬季北海道いや、サロマ湖遠征は終わった。


 コレを書いているのは遠征から1か月以上経った3月末日だが、サロマ湖・チーム・常呂町のしたことには納得がいかない。怒りすら覚えている。
 しかし、ヨワい。根拠無くその場でシオシオと従ってしまった事実はどうしても消えないのだ。

 私は、きっと 2002年の冬もサロマ湖コンプリートを目指して行くだろう。
 しかも、チーム・常呂町の連中の目を盗むような遠征ではなく、法・理論・装備の武装を整え、できることなら彼らの目の前で堂々と「悔しかったら付いてきな!」くらいの勢いでケツをまくって挑みたい。
 ホントに悔しい。涙がチョチョぎれる思いなのだ。

 言い訳じみているが、普段の私ならコンナ出来事に象のように従うことはなかっただろう。あのとき私はホントに全力でサロマ湖口の征服を見据えた上で気力・体力の配分を行っていたのだ。たとえれば、川を遡上し産卵した直後のサケのようだったのだ。もう抗う気力もなかった。

 まだ繰り返す。前回のように自分の判断(アクシデント・気力の欠如を含めて)で断念したのではないことを知って貰いたい。
 トコロチョーカンコーカ以下の人間が勧告(柔らかく言うけど)した法的根拠なんて無いんだからね。ヨーするに、「何かアブナイコトしてるヒトがいるよ、見つけちゃったよ。責任問題は回避しないと。」というトコロなんだよ。
 西日本出身の人間が東北や北海道へ行けば分かる。寒さへの過剰な防御。建物内の、もの凄い勢いの暖房と厳しい寒さへの忌避。
 言いたいことは分かるよ、こういう環境で過ごせば低温の危険を痛いほど認識するんだろう。でもね。
 じゃあ、そういうアンタ達はレイカ1x度をぺらぺらテントで過ごしたことがあるのか?あるのか?
 そして私は成年者だ。リスクを全て自分で背負ってるんだ。生還の自信を十分に持ちながらも自筆証書遺言さえ書き置いてやって来てるんだ。
 中途半端な登山者よりもよっぽど考えてる(つもり)なんだ!
 トコロチョーカンコーカがタマタマ見つけただけで事実上の(法律上のとは言わない)タイホ・ユーカイ・カンキンをする理由なんて自己保身だけじゃないか!

 すまん。言い過ぎたかも知れないが本心の一部なのだ。

 とにかく、私は「常呂町・機械化歩兵部隊」の面前で「オレは行くからな!」と宣言して(ココ重要。)、来年こそ思い残すことなくサロマ湖を制覇して数年来の思いを遂げたいのだ。コレ無くして転進あるべきか!


 末筆ながら、今回の遠征にあたりお世話になった「北海道アウトドア・エキスプレス」と管理人の Showhey氏および雑誌「イーストサイド」並びに1か月以上もお待ちいただいた読者の方々に心からお礼を申し上げます。



1・2日目(東京・室蘭)3日目(サロマ湖)サロマ湖・その2最終日まで



のじゅかー旅行記へ戻る