のじゅかー旅行記

第7回野宿旅行 in 西日本

参加者
RON

実施
1998.11.2〜11.x


前日 <東京>

 その日、RONは思うところあって、時刻表と弁当を買って芦花公園へ行った。
 「…どうやって東京を脱出するかな…。」
 1人で大量の荷物を背負って昼間の新宿駅や東京駅をウロウロするのはどうにか避けたいと思っているので、自然と夜行列車や夜行バスのページに目が。すると、京王線の車内にも広告が出ている京王高速バスの飛騨高山行きを発見。朝8時発だからラッシュ前の7時に家を出ればいいのだ。(ラッシュ時に重装で電車に乗るのは、ほぼ不可能である。ただし軽装でもケーキなどを運搬するのは覚悟を要する。)
 普段では考えられないほどの迅速な決断で予約センターに電話をすると、「明日の8時の便は空席があります」とのこと。これで決まった。そしてその後、寒さでぶるぶる震えながら弁当を食べたのであった。

1日目 <岐阜・高山>

 さて、朝8時の高速バスに乗って高山に到着したのが昼の1時半。この間ほとんど寝ていたのでまるで「どこでもバス」に乗ったような気分。腹ごしらえをして、さっそく食料と飲料水を確保しようと市街地をぐるぐる回るも、なぜか食料品を扱った店が無い!1時間後に、ようやく見つけたのがマイナーなコンビニ1軒。レトルトカレーと缶詰と飲料水を購入して一安心。露営地は、駅前の案内図で既に決めていた高山城跡。きつめの坂道を30分かけてようやく本丸までたどり着き、人気が無くなるまでじっと身を潜める。東屋で読んでいた新聞の文字が見えにくくなり始めた午後5時、ようやく築城を果たす。この日は米を炊いでカレーを食べて寝た。結構寒い。寂しい。酒は飲まなかった。

2日目 <福井・九頭竜>

 夕飯を食べてすぐに眠ってしまったので朝5時半に目が覚める。コーヒーを入れて飲み、撤収開始。7時半に撤収完了。高山駅バスターミナルからバスを乗り継いで美濃白鳥まで行くと2時間以上も待ち時間があるので昼食の後新聞を読んだりして何とか潰した。その後、国境を越えて福井県九頭竜湖に到着。

 観光案内を読んでいると近くに国民休暇村があるというので、そこのキャンプ場で夜を明かそうと思った。そしてほうほうの体(やっぱり1キロ歩くと大変)で事務所へ行くと、「キャンプ場は今の時期やってないんですよ。」水道完備!あわよくばシャワーもあるでよ!の世界を確信していたRONは、3秒ほど呆然として「あぁ〜じゃあダメですよね。」「はい。」てな感じで荷物を背負って戻ろうとした。すると、その休暇村の隣にスキー場があってその駐車場の端っこに極ミニ版の公園(て言うか、遊具が置いてあるだけ)を発見!見過ごしていたんですよ!その穴場を!何と水道完備!さっそく設営を開始する。
 午後4時頃、「やれやれ」とベンチでタバコをふかしていると、1台のパトカーがサイレンも赤色灯もつけないで休暇村の方へ。しばらくすると戻って行く。5分後、なぜかそのパトカーがまた休暇村の方へ向かって通過していく。「何かあったのかなぁ。」とか思っていると、またこっちに戻ってくる。そして側に来ると急に速度を落として何かこっちを窺っている様子…。「お、野宿旅行7回目にして初の職質か!?」などと、ついこないだ取ったばかりの原付免許をどーだ!とばかりに突きつける様子を思い浮かべながら、さりげなく遠くなんかを眺めているうちに、とうとうパトカーは去って行ってしまったのである…。

 さて、その後妙な寂しさを覚えて(注…以後、孤独感は日増しに強くなっていく。)ちょっと遠くの酒屋でキリン淡麗とワンカップ(注…以後、ワンカップの量は日増しに大きくなっていく。)を購入。午後7時頃、雨音を聞きながら就寝。

3日目 <京都・福知山>

 朝5時起床。6時半撤収完了。7時5分の列車に乗るには急がないといけないので、必死で駅に向かったところ15分も前に着いてしまう。一服できたからいいけど。
 九頭竜湖から福井で乗り換え。立ち食いうどんをすすって、さらに敦賀から東舞鶴、福知山へと長駆する。駅でカツ丼を食べた後、例によって案内図を眺めていると福知山城を発見したのでそこに設営することに決めた。
 そこで横着しようと思いつき、観光案内所の窓口のおじさんに「お城まで行くのには、どのバスに乗ればいいですか?」と尋ねた。すると、おじさんは「近いから歩いた方がいいよ。バスはあるけど、停留所と停留所のちょうど真ん中辺にあるから。」と言い、わざわざ外に出てきて行き方を教えてくれた。その教えを心に刻み(?)歩くこと30分。福知山城が見えてきた。お城の例に違わず(とは言っても、広島城や松本城は平城だけど)そこだけ小高く盛り上がってるっす!でも登るのだ。そこにねぐら(の可能性)がある限り。さて本丸にたどり着いたRONは例によって日が暮れるまでぶるぶると震えつつタバコをふかしていると、かの荷物を見た管理人さんが話しかけてきたのである。
 「どこからきたの?」
 「東京です。」
 「そう。遠いとこから・・。どこに泊まるの?」
 「いやぁ・・野宿なんですよ。」
 「この寒いのに?」
 「いやあ、テントがありますから。」
 「テントでも寒いだろうなぁ。」

 管理人に見つかってしまった以上、黙ってここに築城したらヤバイかな・・・と
「ここにテント立てたらまずいですかねぇ。」
 「うーん、わしは何ともこう・・言えないけど・・なぁ。」

 うーん!!人様に迷惑を掛けるのは野宿旅行の不文律に反するので・・・。
 「でもまぁ、あっちの方に川がありますよね?そこの河原にでも行きますから。」
 「それもいいけど、下の方の駐車場とか・・風は、よけられるけどなぁ。」
 「駐車場だったらいいですか?」
 「うーん、良いとも悪いとも言えないけどなぁ・・。」
 「そうですか。」
 「まぁ、でもトイレの横なら風はよけられるし・・。」
 「あぁー、そうですか、じゃあそこにしようかな。」
 「んんー寒いから気を付けてな。」
 「はい。」

 自分の管理責任と人の良さとの板挟み(?)の管理人のおっさんに感動しつつ、築城ならず城下にしかもトイレの横にねぐらを設営するRONであった。が、しかし、割と人通りがあって寝つけないのでワンカップを1本空け、まだ飲みたいぞ!と思ったので、ちょっと遠くに酒屋を見つけてビールを買った。
 しかし本来、こんな市街地の駐車場は割と危険なので野営は避けるべきなのだ。

4日目 <鳥取・浜村温泉>

 さて、例によって5時起床で撤収。7時過ぎに、どうしても必要だと思ってコンビニで地図を探したけど、どこも置いてないので諦めて駅で天ぷらうどんを食べた。
 福知山から鳥取へ移動。
 ちょうどお昼なのでレストランへ入る。何だかやたらと頭がでかくて身がちょっぴりのエビフライが印象的だった。食後の紅茶を「ダバダ〜」(違うだろ)と飲んだ後、本屋で「野宿er」御用達のツーリングマップル中国四国版を購入。この地図は外湯のある温泉が載ってるので便利。
 鳥取市は野宿をするには大きすぎる街なので地図を頼りに浜村温泉を目指す。さっそく、温泉駅前の案内所のおねえさんに外湯のことを聞いて入りに行くと、なんと、たったの 200円というロープライス!!さっぱりして駅前でたたずんでいると、なんだかダルくなってきたので暇そうなタクシーに海岸まで運んで貰うことにした(ワンメーターでゴメンなさい)。海岸に着いたはいいけど、砂漠のような砂があふれていて、強風&波高し。とても設営できる環境ではないので案内図に載っていた「砂丘公園」という所へ行ってみることにした。
 ところが、着いてみるとその名の通り、砂まみれで荒涼としたただの広めの児童公園なのだ!
 一応、水道トイレ完備なのでそこで設営し、いわしのレモンスープ煮の缶詰を温めてつまんでると「この残り汁にに米を入れて煮たらどうだろう」という考えが浮かんできたのでさっそく実行する。水を足しながら待つこと数十分。おいしいじゃん。ほろ酔い加減でこんな事しながらラジオを聴いている自分に嫌気が差し、眠る。

5日目 <島根・江津>

 5時半に目が覚めるが、2度寝してしまい、6時半起床、撤収開始。もう5分で撤収できるようになった。
 浜村から米子へ移動。米子駅でうどんを食べてると店のおばちゃんが
 「あれ、凄い荷物ねぇ、どこからきたの?」
 「東京です。」
 「へぇ、東京からどうやって?」
 「えーと、電車で岐阜・福井と回ってきたんです。」
 「へー。野宿で。いやあ私はそんなこと怖くてできないね。若くても。やっぱ男の人はねぇ〜・・。」
 「いやあ、はは・・。」
 「気を付けてね。」
 「はいー。」

と、既にFAQとなった会話をこなしつつ、さらに西へ向かう電車に乗る。

 今晩の露営地は、浜村温泉で気をよくしたせいか、温泉津(ゆのつ)に決めて下車したものの、どうもこの町は入り江に張り付いた漁港って感じで露営地の確保に難があったので、諦めて江津まで行くことにした。江津なら、江の川(結構大きい川で、源流は広島県)の河川敷でテントを張れるだろうという考えである。
 釣りをしているガキ達の好奇の視線を受け止めつつ、目論見どおり江の川左岸に設営し、相も変わらず夜は更けるのであった。

6日目 <江津・広島>

0630 のんびりと撤収開始。
0800 江津駅に到着。新聞を隅から隅まで読みつつ時間つぶし。
1043 三江線という超ローカル列車に乗って浜原という駅まで行くがホントに何もない。少し歩くと辛うじてお好み焼き屋(あぁ広島だ。)が1軒あったので、焼きそばを頼む。そばに川が流れているせいか「釣りに来たのか?」というような事を言われるが、広島弁のヒアリングが難しくなってる自分に驚く。広島弁ネイティブではないRONは東京に出てきてスパッと抜けてしまったのか、聞いたのが単に備後弁だったのかどちらかだ。ただ、抜けたとは言っても独特のイントネーションは残ったままなので逆に始末が悪い。
 食べ終えて、店を出るとホントにすることが無くなって困った。
1614 待ちこがれていた三次行きの列車が来た。5時間半待ちとは!後は、ただ列車に揺られて三次から芸備線に乗り換えて広島の別宅(当時)に 2000過ぎに到着した。当然無人で、おそらく酒でも飲んで寝たのだと思う(この辺、メモに記述が無い。)。

7日目〜16日目 <広島>

 バラしてしまうと、この旅行記は5日目まで書いたところで数か月(1年以上?)も放置してしまい記憶も薄れてしまっているので、当時のメモを頼りに書いているのである。うーむ。
 7日目から16日目まで何をしていたかと言うと、「別荘」でダラーダラーと酒飲んで起きて公園でひなたぼっこしたり、地元の知人と会ったり・・・の繰り返しだったようだ。バカだ。

17日目 <広島・今治>

1000過ぎ。バスに乗って己斐駅へ。そして JRで竹原まで行く。
1300 さーて、今夜の飲料水でも確保するかな、と駅前をうろつくが、店がない!これまで地方でさんざん遭ってきたことであるがガッカリ。ガッカリどころではないぞ!一晩水なしでは炊事もできないのだ。

竹原駅前から徒歩で港に行く。
1350 四国は波方港まで 1000円だ。
1420 出航。そして 1530 波方(今治)港着。
 今日はどこにテントを張ろうかなあー、と案内図を見るとそばに波止浜公園というのがあることが判明。公園があることはラッキーだ。国道そばの空き地なんてうるさくて眠れないからね。さらに途中で小さな酒屋を発見!これまたラッキー!道順を聞きつつ飲料水(500ml のペットしかなかったけど)と酒を確保。
1600 公園に到着。設営。この公園からはドックが見える。(たぶん)ワンカップを飲みつつ就寝。この日、九頭竜湖の酒屋で買ったカリカリ梅が購入時に既に賞味期限切れだったことが発覚。ちょっとした商店のモノには要注意だ。

17日目 <松山>

 JRで松山まで行き、知人宅に泊まる。その後、再びフェリーで広島へ戻り倉敷から夜行バスで新宿まで帰る。




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