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2007年10月28日

宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その5

 色んなワインを飲んできたよ。もとい,ガレットを食べてきました。

 つづき。

1014 弥山山頂着

 霊火堂と三鬼堂を抜けて数分登ると,おなじみの弥山山頂です。三角点は標高529.8mなんだけど,それより高い地点が測定されたという話で,最高地点は535m。地形図 厳島南東
 これがどこを指すのか,次の機会に確認しようと思います。
  
 実質3階建てでオープンな構造の山頂展望台のてっぺんから西北西の駒ヶ林をぼんやりと眺めていると,登山者風の見知らぬおっちゃんが声をかけてきました。もちろん見知ったおっちゃんだったらびっくりするよ。ちなみに弥山山頂にはロープウェイ客がやってくるので登山者風じゃないおっちゃんもいるしおばちゃんもいるしにいさんねえさんパパにママじいちゃんばあちゃんお孫さんもいます。
 「あそこ登ったことがあるかい?」
 「駒ヶ林ですよね,ありますよう」
 「多宝塔(ルート)から?」
 「いや大元(公園ルート)からです」
 「人がいるねえ」
 「あぁ(駒ヶ林の岩の上に)いますねえ」
 「多宝塔のはすごいよ。最後は岩にしがみついて登っていく感じだからね」
 「!」
 「もう,右も左も絶壁だから滑ったら厳しいね」
 「…(想像中)」
 「私は(経験者に)連れて行ってもらったんだけどね。その日は(雨で)濡れてて」
 「濡れてたら,そりゃ大変でしたね!」
 「滑るからねえ」 
 「一度行ってみたいんですけど,経験者いないと難しそうですねえ」
 「そうだね,あれは難しいよ」

 濡れてる岩場なんて怖くて近寄りたくもないが,乾いているとしても駒ヶ林の巨岩を正面から取り組むルートはまだ知らないし「ちょいこわルート」だという話を聞くにあたってホイホイと気軽に登ろうとは到底考えることはできません。
 てゆーか,駒ヶ林への直近ルートである大聖院ルートが数年前の台風災害でめったくたになっているのに,その隣の多宝塔ルートは無事なんだろうか。

 コンビニで買ってきたサンドイッチを食べて,紅葉谷ルートから下山。最もメジャーなこの谷のルートは道のりが最も短いが,薄暗くて遠景もなくて憂鬱。
 登ってくる人と「コンニチハ」のあいさつを交わすのが救い。

 この回で宮島の登山ルートをまた一つ埋めたわけですが,残るルートの多くが弥山ではなく島の南西部にある岩船岳絡みなので,ソロで涙目状況を繰り返すことに尻込みしている状況であります。

終わり。

【弥山山頂展望台から駒ヶ林を望む 07.10.06】
駒ヶ林

2007年10月22日

宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その4

 つづき。

0831 榧谷駅

 鹿との遭遇を経て,アップダウンをいくつか繰り返すとやがてロープウェイの中継駅(榧谷駅)にたどり着きます。
 紅葉谷や大聖院および大元公園の三大ルートと違ってこのアップダウンがあることがマイナーである理由ではないかと思われます。

 榧谷駅では駅地下に10m程の短いトンネルがあり,これをくぐって引き続き尾根をたどることになります。このトンネルは,小学生か中学生の頃に遠足で来たときにくぐったような記憶があるのだけど,中学生のときに友達と単純に遊びで弥山に登ったこともあったし,くぐったことも含めて定かではありません…。
 遊びで登ったときは,当時ざるそばのつゆについてくる生うずら卵について執着があった私が注文したのにつられて,冬にもかかわらず山頂駅のレストランでざるそばを頼む男子中学生数名。そして一人だけ食中毒になるT氏(中電)の記憶が鮮明ですが,純粋に気の毒としか今となってもコメントしようがありません。

0851 獅子岩駅

 左手にロープウェイを見ながら尾根を進み,「そろそろ樹上に猿いるんだろ…」と最大警戒モードに遷移するも駅周辺に至るまで一匹の姿も見えませんでした。時間のせいなのか,それとも数が減っているんだろうか。
 2階建の駅で誰もいない中を20分くらいぼんやりと休憩して,山頂を目指します。

0929 霊火堂

 2005年5月5日に全焼した霊火堂は見事に再建されていた。が1階に金属製で複数の小さい穴が開いている天井ができていてファンがあるわけでもなく,2階まで吹き抜けだった以前よりも焚き火の煙の充満度が高いように思われた。目が痛い。

 806年(大同元年)に弥山山頂付近で弘法大師が焚いた護摩の火が絶えずに燃えているという言い伝えで,1200年の間には大型台風もあっただろうし,実際に堂も何度か倒壊しているそうだし,果たして絶えずに燃えているのかどうかと疑ったりもしたくなる。が,今回の全焼事件では付近にいた住職が火種を懐炉に拾っていたらしいし,広島平和記念公園の「平和の灯」も,元々はこの霊火だというのでそれより過去においても何らかの形で継続性を保っているのだろうと好意的に解釈したい。

 霊火の上には新たに寄進された大茶釜が据えられていた。これいくらするんだろ。
 新しい堂の側には寄進額を記した石柱が建っているんだけど,金額が載っているのは50万円から1000万円。あとは金額ではなく「擬宝珠」「本尊不動明王像」「大釜」「金一封」となっていて,「金一封」が大本山大聖院座主吉田xxで「大釜」が佐賀県神埼市千代田町xx…道貫坊信者一xx(xxは写真から外れていて不明)となっている。いくらなんだ…。1000万円以上って事か。どんだけー。寄附側の税制優遇ないよな…?

 霊火堂の上にある三鬼堂も以前の台風で倒壊しているのだが,この三鬼堂については私の曾祖父が正面欄間の彫刻を寄進していて,古い写真に確かにその様子が残っている(こんなの知ったのは数年前だ。写真そのものは確か10年乃至15年前くらいのものだったと思う)。現在の三鬼堂には田川家の関係する寄進物は無い。
 遡れば江戸時代のころの煙草屋にたどり着くと言うし,戦前戦後も菓子とか米とか売っていたようだし商売人の縁起担ぎなんだろうな。

 ええ,私も100円玉を何枚か投げて「商売繁盛」のロウソクを立ててきましたよ。信心とか信仰心とか宗教とか興味ないんですが,三洋電機を救い給え!私のxx000株だけでも。みんなエネループ買え。エコ。

 続く。

【霊火堂 07.10.06】
霊火堂

2007年10月15日

宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その3

 今年は西条酒まつりには行きませんでした。と言うか行く予定無しでした。
 土曜日に新婚のM邸に”お呼ばれ”して大騒ぎして,ぐでんぐっでんで帰ってからまだ飲んで,翌日の日が沈むまで寝ていました。西条じゃないところで酒祭りでした。記憶喪失祭り。
 何のきっかけか,奇跡的に「おまえら,帰ろうぜ!」と私が喚き出したのが,午前1時前後。いいのかよ。いいや。

 宮島弥山登山のつづき。

 登山口さえ分かれば,あとは尾根に上がりそれに沿って進めばいいだけです。ぬるい日差しと涼しい風が交互に体にまとわりついてきますが,総じて快適。左手に広島湾,右手には大鳥居と大野瀬戸が見えます。

 一人で宮島に来て第一に思う危険事象が動物との遭遇なのですが,この島にいるヒト以外の大型動物は鹿と猿です。鹿は桟橋前の低地から弥山山頂まで全島に分布しています。猿は,ロープウェイ駅の終点(獅子岩)付近から青海苔浦乗越までの高地に分布しています。
 具体的な話をすると,パーティーでうろついているときにこんな動物に遭遇しても問題ないのですが,一人で遭遇するとコワイ。

 軽く息を弾ませながら歩いていると,前方でガサガサと音がする。視線を移すとシカその1が現れた!メスだ。足元をさっと眺めて枯れ枝を拾って投げつけると谷の方に逃げていった。
 少し進んだところで,視線を上げるとシカその2と目があった。オスだ。切られていない角がある。目があった瞬間にシカその2は谷方向に逃げていったが,その場で拾った枯れ枝を投げてダメを押す。背後から角突っ込まれたら嫌だからな…。

 そもそも鹿は臆病で滅多に人を襲うことは無いんだろうが,包ヶ浦キャンプ場で3頭の鹿による集団食料窃盗の現場に遭遇し,追い払おうとしたら闘牛のように鼻息ぶひー,ひづめ地面を掻き「やんのか?」と言ってきたこともあるので,エサがらみのときはやるんではないかと思われ。そのときは,こっちも頭に来て「やってやんよ」と言い返して石つぶてをぼこぼこにしてやったので逃げていきましたが,これはこれで食料のほとんど全てを喰われ,残るは焼酎のビンだけという状況で涙にむせびながら一人でテントに転がる夜なのでした。
 それ以来,鹿は宿敵となり,見つけ次第しめて喰ってやろうかと考えている間柄なのです。

 続く。

【博奕尾ルート登山口までの道のり(赤)。青ルートが正解。×印が登山口。 07.10.06】
PA060629_003.gif

2007年10月8日

宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その2

 明け方,風呂場でメガネを水で洗った後,一振りしたら壁に当たって鼻当てとレンズをつなぐ部品がポッキリだよ。うわー。
 私のメガネは登山とかの運動でずれないように耳の部分を2段曲げで加工してもらっています。そのおかげでポッキリ部分をゴム系接着剤でぷるぷるつなげただけで,耳にしがみついた形になり何とか形を保ちます。そのまま,10時開店と共にに突入。約10分で部品代100円でした。
 余談ですが,このの店長というかチェーンの代表取締役が「田川」さんだそうで,直ったメガネを持ってきてくれたのもこの人なんですが,たぶんうちの家とは直接の関係は無いんだと思います。

 宮島弥山登山の続きです。

 ほろ酔い加減でザックにうちわ,保冷バッグと保冷剤,500mlペットボトル2本,デジカメなどを突っ込みストックをつかんで出かけます。

0544 横川駅前のローソンで食料調達。
0554 下り始発列車に乗る。

 ロングシートでひっくり返っている黒人や,着ているシャツの襟首を頭の上まで持って行ってのっぺらぼーのまま動かず座っている人など,始発の殺伐というか奇妙な空気の中で焼きそばパンを頬張ります。

0616 宮島口駅着。
0625 JR宮島連絡船出航。

 「今日の弥山はひと味違うぜ。なんてったって知らないルートなんだからな」

 明けたばかりの薄青い景色の中で気がつくと,登山口の確かな場所が分かりません。そこんところだけは知っておけよ…。
 紅葉谷公園の手前から,峠を越えて包ヶ浦に向かう道があり,その峠から尾根沿いに弥山に向かうルートだという記憶を頼りに旅館「岩惣」前の舗装道路を左手に上がるとあっけなく峠になり,向こうの海が見えます。

 「あれ,なんか騙されてる感…」

 道路右手の獣道っぽく見える筋を3つ4つ歩いてみると,どうも若干人の手が入ってはいるものの踏み跡らしくない。大きなクモの巣に顔を真っ正面から突っ込んだりしちゃったりして,これはもう経験と勘から

 「オレが進む道はこれじゃねえ!」

 という結論に至り岩惣方向に戻ることにしました。ただ,それでは面白くないので,途中で舗装道路が紅葉谷方面に分岐しているのを改めて確認し,そちらに進んでみることにしました。
 すると,左手にあからさまに獣道とかそういうレベルではなく盛大に裸土が尾根に向かって筋状に露わになっているポイントがあり,

 「ここよ,ここから登るのよん」

 と誘っているので,これはまた逆におかしいと勘ぐり華麗にスルーします。すると,道路はやがて岩惣から紅葉谷公園を通ってロープウェイ乗り場の直下に至ったところにある乗客用送迎バス停のところに着きます。つまり,そのバス停の数十m山側に「包ヶ浦自然歩道」の分かりやすい標識と,その分岐を1分進むと分かりやすい木製階段が現れるのです。
 あれこれ逡巡せず,岩惣の朱塗り橋を渡り,紅葉谷公園を上がり,茶屋前を通り,ロープウェイ客送迎バス停が見えたら,その舗装道路を左手に進み橋を渡って,十数メートル先の大きな「包ケ浦自然歩道」看板を右手に入ればいいのです。

 この辺りのワケ分からない加減については,ポイントの写真をいずれ上げようと思います。

 続く。

【博奕尾ルート登山口 07.10.06】
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2007年10月7日

宮島・博奕尾ルートに迫る!の巻 その1

 金曜の夜から一人でダラ飲みをしていたところ,急に弥山に登ろうという思いが湧いてきたので,寝ずに始発でGoすることにしました。
 ちょっと前に知人と登ろうという話もあったのですが,出発数時間前に声をかけてもどうしようもないだろうと思い,黙って行くことにしました。

 最後の弥山登山は2005年5月。山頂の霊火堂が焼けてしまった直後に見物に行ったときです。(内輪話BBS過去ログに記事があります)

 今回は,その半月前に踏破した岩船岳ルート以来,2年半ぶりの新規開拓!

 「博奕尾(ばくちお)ルート」

 宮島の山塊は背骨が北東から南西にあって,あばら骨が北から南及び北西から南東に分布しているものと理解してください。そのあばら骨の最も東側をなぞるのが,この博奕尾ルートです。余談ですが,この第一あばら骨と第二あばら骨の間の溝をなぞるのがメジャールートである紅葉谷ルートです。

 博奕尾ルートは弥山登山の三大メジャールートから外れていて,多宝塔ルートとともに私はその存在すら知らなかったわけです。何より,愛用している2万5千分の1地形図に載っていないワケで。
 以前,弥山に「博奕尾ルート」があるという情報を頼りに検索してみたところ,紅葉谷公園近くから北の尾根沿いに榧谷(かやたに。ロープウェイの乗換駅)へ至るルートだと知り,ただそれだけの知識を頭に入れただけで酔いも醒めやらぬまま出発するのでした。

 続く。

【google my map。 マウスで操作できます】

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